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徳川家ゆかりの地 喜多院と、伝説の七不思議めぐり

投稿日:2016年1月28日 更新日:

「川越大師」として市民に親しまれている喜多院。喜多院と喜多院にまつわる七不思議の謎に迫ります。

川越に伝わる伝説の七不思議の謎

気の遠くなる程長い歴史を刻んできた喜多院。
そんな喜多院には、古くから語り継がれてきた七不思議があるんです。
七不思議スポットは境内にもありますし、境内からはちょっと離れた場所にも点在しています。

今回の散策では、喜多院の主要スポットと共に、七不思議にまつわるスポットも探訪します。

七不思議① 山内禁鈴

山内禁鈴
お寺や神社などでお参りをする時、よくガランガランと鈴を鳴らしたり、ゴーンと鐘を撞いたりしますよね。(本坪・本坪鈴と言います)
でも喜多院には「山内禁鈴」というルールがあり、あのガラガラやゴーンが出来ないんです。
鈴を鳴らそうにも鈴の中の舌(ぜつ)が抜かれているので音が出ませんし、鐘は縄でぐるぐる巻き状態。

それもこれも、大昔に喜多院にいた助平和尚さんのせいなのです。

山内禁鈴

昔々、喜多院に一人の美女が現れました。

美女は和尚さんにこんなお願いをしました。
「今日から100日間、お寺の鐘を撞かないと約束してください。その代わり、約束を果たしてくれたらこの鐘をもっと立派な音色にしてあげましょう」
その様子があまりにも熱心だったため、和尚さんはそのお願いを承諾します。

鐘を撞かなくなってから99日目。
今度は物静かで麗しい女性が喜多院を訪れました。
女性は和尚さんに言いました。
「今夜一夜だけでも構いません。どうか、寺の鐘をお撞きになって、私に音色を聞かせてください」

女性の気高い雰囲気に魅せられた和尚さんは申し出を断ることが出来ず、言われるがままに鐘を撞いてしまいます。

すると、和尚の目の前にいた女性はみるみるうちに大きな竜へと姿を変え、雲を呼び、風を起こし、和尚さんを天高く吹き飛ばしました
和尚さんは嵐の中で99回独楽の様に回された挙句、どうにか着地。

この事件が起きて以来、喜多院では鐘を撞くことが禁止されました。
それが転じて、今では「山内禁鈴」になっています。

正安二年の銅鐘のみ、年に一度だけ除夜の鐘として撞かれています。

絵馬所
慈恵堂の脇にある絵馬所です。
喜多院のご利益は、厄除け・厄払い・商売繁盛・学業成就・家内安全。
この日は1月だったためか、合格祈願の絵馬が多かったです。

七不思議② 三位稲荷

さて、喜多院には絶対に辿り着くことの出来ない御堂が存在します。
それは客殿の中庭、
中庭
写真中央の赤い橋のさらに向こう側にあるんです。
「三位(さんみ)稲荷」と呼ばれるその御堂は、境内の案内図には載っているものの、自然保護区の一部となっているため参拝することが出来ません。

次に紹介する七不思議は、この三位稲荷にまつわるお話です。

三位稲荷

昔々、喜多院には実海僧正というとても徳の高い住職がいました。
ある日、実海僧正はお経を読んでいるうちに、体が天高く舞い上がり、あっという間に群馬県の妙義山まで飛んでいってしまいました。

実海僧正の弟子で味噌すり坊主の三位は、お師匠様の件を聞いて大慌て。
「私も後を追いかけなくては!」と、近くにあったほうきを持って飛び上がります。
しかし三位の法力では十分に飛ぶことが出来ず、三位はお寺の庭に落ちて亡くなってしまいました。

師を慕って命を落とした三位。
実海僧正は彼をたいそう哀れに思い、三位の亡くなった場所に祠を建て、「三位稲荷」として祀りました。

以来、喜多院には、

  • すりこぎとすり鉢、ほうきは遠く離れた場所に置くこと
  • ほうきは逆さに置くこと(逆さぼうき)

という規則が設けられました。
これを破ると、必ず何らかの災いが起こると言われています。

喜多院の外側
喜多院の外側から撮影。
このフェンスの向こうに三位稲荷があるはずなんですけどねー。

さて、山門を出て駐車場を左手に見ながら進んでいくと、七不思議の史跡が登場します。

七不思議③ 明星杉と明星池

明星杉と明星池

この地域に「明星」という名が多い由縁

永仁4年(1296年)。
仏法を広めるため、尊海僧正は牛車に乗って仙波の地(現在、喜多院が建っている場所)を訪れました。
しかし、橋の前で牛車を引いていた牛が突然立ち止まってしまいます。
尊海は「この場所には何かあるに違いない」と考え、仙波の地に留まることにしました。

その晩、近くにあった池の中から、不思議な光が浮かび上がってきました。
その光はあっという間に空高く舞い上がり、明星となりました。
そして、古い杉の上に止まり、キラキラと輝き始めたのです。

尊海は「この地こそ霊地に違いない」と考え、ここにお堂(喜多院)を建て、仏法を広め教えるための拠点としました。

この事から、喜多院の山号は「星野山(せいやさん)」と称され、この地は「明星(みょうじょう)」という字名で呼ばれる様になったのです。

 

次は喜多院の山門を出て、道路を挟んだお向かいにある神社へ行ってみましょう。

三枝神社

三枝神社
三枝で「ひえ」と読みます。「さえぐさ」ではありません。

車道沿いに出ている看板。
看板
看板に書いてある通り、東京都千代田区赤坂にある三枝神社の本社となります。

三枝神社とは

慈覚大師円仁が喜多院を再興する際に、滋賀県大津市の日吉大社を勧請(かんじょう)したのが、三枝神社の始まりであると言われています。
勧請とは、神様を自分たちの土地へ招き、その魂を分けてもらうことです。

しかし、本殿には様々な時代の建築技術が見られるため、実は三枝神社は喜多院の再興前から建造されていたのではないか、との説もあります。

本殿は国の重要文化財です。
室町時代末期~江戸時代初期の華やかな朱塗りの様式が残されています。

喜多院の注目度が高過ぎるためか、あまり三枝神社には観光客が来ません。
こちらもかなり貴重な建物なんですけどね。

本殿。
本殿
綺麗な朱色です。

七不思議④ 三枝神社「底なしの穴」

三枝神社に来たら是非見ておきたいのがコレ。
境内のすぐ隣にある「底なしの穴」です。
底なしの穴
・・・今となっては「どこが?」という感じですが、かつてここにはちょっとした伝説があったんです。

底なしの穴

昔々、三枝神社には「底なしの穴」と呼ばれる深い穴が空いていました。

ある日、「この穴はいかほど深いのか」と疑問に思った村人たちは、試しに鍋や下駄などを穴に投げ込んでみました。
しかし、いつまで経っても落ちた音がしません。

村人たちが訝しげに穴の中を覗き込んでいると、500mほど離れている「竜の弁天池」の方から人がやって来ました。そして、こんな事を言い出したのです。
「池に鍋とか下駄とか、色んな物がたくさん浮いているぞ!」

村人たちは竜の弁天池へ急ぎました。
すると、そこには確かに底なし穴に投げ入れたはずの鍋や下駄が浮いていたのです!

現存している竜の弁天池。ここに投げ入れた物が浮かんできたんですね。
竜の弁天池

竜の弁天池の場所。喜多院からはかなり離れています。

伝説、その後

時は流れ、享保19年(1734年)。
川越藩の普請奉行が本堂の修理のために穴の内部を調査したところ、4本の横穴が東・西・北・北西の4方向にのびていることが分かりました。
寺との話し合いの結果、「この穴は昔、竜を閉じ込めるために作った穴に違いない」ということになり、それ以上の調査は行われなかったそうです。

浮島稲荷神社

浮島稲荷神社

喜多院の北東にある小さな神社。
地元民から「うきしま様」と呼ばれ、親しまれています。
創建された時代は定かではありませんが、安産の神様として麻を奉納する風習が伝えられています。

浮島稲荷神社と喜多院の関係

言い伝えによると、元々は星野山(=喜多院)にあったものを、慈覚大師が喜多院を開いた際に現在の場所に移したとされています。
しかし、これには諸説あり、太田道真(道潅の父)が川越城を築城した際、城の守護神としてここに祀ったという説も伝えられています。

なぜ「浮島」なのか

浮島稲荷

住宅街のど真ん中にある浮島稲荷。

今となっては全く「浮島」感が無いわけですが、かつては「七つ釜」といって、清水の湧き出る穴が7つもあり、一面葦の生い茂った沼沢地でした。
そのため、遠くから神社を眺めると、ちょうど島の様に浮かんで見えたところから、「浮島神社」と呼ばれる様になったそうです。

ちなみに、伊勢物語などの和歌によく登場する「みよし野」「たのむの沢」とは、この辺りの土地のことです。

「みよし野のたのむの雁もひたぶるに 君が方にぞ寄ると鳴くなる」(伊勢物語 第十段)
(三芳野の田んぼに降りている雁も、鳴子の引板をひくと片方へ鳴きながら逃げて寄っていきますが、その様に私の娘もあなたの方に心を寄せている様です)

神社の敷地内には公園があり、ご近所さんたちの憩いの場となっています。
公園

ここからは喜多院からちょっと離れた場所に残されている、3つの伝説を回収します。

七不思議⑤ 琵琶橋

琵琶橋

アクセス

ピンのある橋が「琵琶橋」です。
そのすぐ北にある大きな橋は「新琵琶橋」と呼ばれています。

仙波琵琶橋の伝説

ある日、尊海僧正は弟子と共に喜多院へ帰る途中、道に迷ってしまいました。
あちこちと歩き回っている内に、一行はある小川に辿り着きました。
しかし、橋が無いため渡ることが出来ません。
さすがの僧正も困り果ててしまいました。

その時、どこからか琵琶法師が現れました。
弟子達は法師に事情を話し、道を尋ねます。
しかし、その法師は
「私が橋を作りましょう」
と言うやいなや、持っていた琵琶を川に浮かべました。
すると不思議なことに、琵琶は見る見るうちに姿を変え、立派な橋になったのです。

僧正一行はその橋を渡り、無事に喜多院へ帰ることが出来ました。

数年後、法師が琵琶を浮かべた場所に橋が架けられました。
この逸話から、その橋は「仙波琵琶橋」と呼ばれる様になったそうです。

七不思議⑥ 榎の木(えのき)稲荷

榎の木稲荷現在は「三変稲荷」とも呼ばれています。
住宅街の一角にある小さな神社です。

アクセス

榎木の上の白狐伝説

稲荷昔々、喜多院には化け上手な白狐が長い間住み着いていました。
しかしある日、とうとう正体を見破られてしまい、お暇を出されてしまいます。

そこで白狐はお礼として、喜多院伝説のトラブルメーカー・尊海僧正に、
「仏教の祖である釈迦が布教をしている姿をお見せ致します。ただし、私が化けている間は一言たりとも声を出してはいけません」
と言いました。
尊海は
「それはありがたいことだ」
と、かたく約束します。

ところが、いざ白狐が釈迦に姿を変えて布教の様を再現し始めると、尊海はいたく感動してしまい、思わず
「ありがたや、南無阿弥陀仏」
と声を出してしまったのです。

その途端、釈迦は姿を消しました。
榎木に登って化けていた、白狐の変身が解けてしまったのです。
狐は木から落ち、命を落としてしまいました。

尊海は白狐を哀れみ、狐が登っていた榎木の下に亡骸を祀りました。
その場所が、現在「榎の木稲荷」のある場所です。

七不思議⑦ 竜の池弁天

竜の弁天池

アクセス

この石柱が目印です。
石柱
石柱の裏には「喜多院」の文字が彫られています。
「喜多院」の文字

竜の池弁天について知る前に、ちょっとだけ予備知識を入れておきましょう。

かつて仙波は海だった

今から7千年~8千年前の縄文時代。
川越は東京湾に面していたと言われています。
古代東京湾は大宮台地の上尾市の方まで続いていて、今よりも温暖な気候だったそうです。

海が引き始めたのは、縄文時代中期以降。
縄文時代の後期には、現在の東京湾の辺りまで後退していた様です。

小仙波貝塚

「川越に海があった」だなんて、にわかには信じられませんよね。
埼玉県と言えば海無し県で有名ですし・・・。

しかし、「川越の海」の存在を裏付ける遺跡が存在するのです。
それが小仙波貝塚。
約6千年前の貝塚跡です。

小仙波貝塚
貝塚は住宅街の隙間にあります。
知らなければ「謎の狭い空き地」としか思えないくらい、本当に狭いです。

さて、ここからが本題です。

竜の池弁天(双子池)の伝説

はるか昔、まだ川越が海に面していた時代のことです。

仙芳仙人はこの地に神聖な力を感じ、お寺を建てようと考えました。
しかし、一面に広がる海が邪魔をして、思う様にお寺を建てることが出来ません。
仙人は頭を抱えてしまいました。

そんなある日、仙人の前に竜神の化身である老人が現れます。
仙人は
「私の袈裟が広がった分の土地を、陸地として頂きたい」
とお願いしました。

竜神がそれを承知したので、仙人は袈裟を海の上に広げました。
すると、袈裟は数十里の大きさに広がったのです。

予想以上の出来事に竜神は焦り、仙人に交渉を持ちかけました。
「これでは私の住む所が無くなってしまう。小さな池を残して欲しい」
仙人は小さな池を残すことを約束しました。

仙人が土仏を作り、それを海に放ると、あっという間に海水が退いて陸地が現れました。
そして小さな池の脇には、竜神のために弁財天を祀りました。

これが竜の池弁天の起源です。

仙芳仙人、なかなか食えない男ですね。

この池には他にも伝説があります。
「底なしの穴」をご覧ください。

 

さて、これで伝説が七つ揃いました。

・・・が、実は七不思議には諸説あり、文献によって取り上げられている逸話に少しずつ差があるのです。
前編~後編で紹介していない逸話については、後日改めて番外編として取り上げたいと思います。

  • この記事を書いた人

富築(水先)

埼玉県と美味しいもの・可愛いものが大好きなwebライター。川越在住。
蔵の町周辺をよくぶらついています。
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