川越の人気観光スポットであり、地元民たちの癒しスポットでもある喜多院(きたいん)。五百羅漢や「家光誕生の間」「春日局化粧の間」などが有名です。
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厄除け・厄払いで有名 川越大師喜多院とは
国指定重要文化財「川越大師喜多院」(喜多院)は、830年(天長7年)に創建されました。
しかし、1638年の大火によって、山門を除く全てが焼失。その後すぐに復興が始まり、江戸城紅葉山から「家光誕生の間」や「春日の局化粧の間」など、貴重な文化財の数々が移築されました。
普段は市民の憩いの場として、境内には穏やかな空気が流れていますが、イベント時は大盛り上がり。特に1月3日(初大師)に開かれる「だるま市」は、境内が人で埋め尽くされるほど賑わいます。
また、4月には桜祭り、6月には蛍祭り、11月には菊祭りが開かれるなど、一年を通じてイベント盛りだくさんのお寺です。
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喜多院の歴史
830年(天長7年) | 慈覚大師円仁が無量寿寺(後の喜多院)を創建。 |
1205年(元久2年) | 無量寿寺が兵火に遭い、荒廃する。 |
1296年(永仁4年) | 尊海僧正が慈恵大師と共に無量寿寺を再興。 関東における天台宗の中心的寺院になる。 |
1537年(天文6年) | 北条氏綱と上杉朝定の戦火によって炎上。 |
1599年(慶長4年) | 天海僧正が無量寿寺を継承。 |
1611年(慶長16年) | 徳川家康が川越を訪れた際、天海僧正と親しくなる。 |
1612年(慶長17年) | 名称を喜多院に改める。 |
1638年(寛永15年) | 大火により山門以外焼失したが、すぐに復興が始まる。 3代将軍徳川家光により、江戸城紅葉山の別殿(客殿・書院・庫裏)が喜多院に移築された。 |
喜多院の境内を散策
ガイドブックではサクッと紹介されて終了してしまう喜多院ですが、隅の隅まで見どころ満載です。
喜多院最古の建造物 山門
国指定重要文化財に指定されている山門。
喜多院は1638年に大火で大部分が焼失してしまいましたが、山門だけは消えずに残りました。そのため、実はこの山門こそが喜多院最古の建物なのです。
写真映えばっちり!多宝塔
県指定有形文化財の多宝塔。寛永16年(1639年)に建立されて以来、移築と改修が繰り返されています。
喜多院の境内で最も写真を撮りやすく、また写真映えする建物です。
慈眼堂と古碑
7世紀初頭に造られた古墳の上にある慈眼堂。徳川家と懇意にしていた天海僧正が寛永寺にて入寂された際、徳川家光公の命により建てられたといわれています。
慈眼堂は国指定重要文化財です。御堂の中には天海僧正の木像が安置されています。
内部はこんな感じ。薄暗かったので、画像の明度を上げてみました。
慈眼堂の西側(御堂の裏)には、喜多院の歴代の住職名が記されている「暦応の古碑」(県指定史跡)と、沙弥(階層の低い僧)・尼の名が記録されている「延文の板碑」(市指定史跡)があります。
喜多院の歴代住職の名を記す資料は、この古碑の他に存在しません。
喜多院への近道 どろぼうばし
慈眼堂の裏にある階段を下った先には、小さな「どろぼうばし」があります。
どろぼうばしの昔話
昔々、御神領かつ江戸幕府の御朱印地でもあった喜多院と仙波東照宮は、その敷地内で罪人を捕まえることができませんでした。
そのことを知っていたある盗賊は、町奉行たちの手から逃れるために、この橋から境内に逃げ込みます。
…しかし、寺男たちによって盗賊はあっけなく捕捉されてしまいました。
寺僧にたっぷりと諭された盗賊はすっかり改心。真人間に立ち直ることができました。
寺からの報告を聞いた幕府の寺社奉行は、この盗賊を無罪放免に。
その後も元盗賊は悪事を働くことなく、真面目に一生を過ごしたといわれています。
現在の「どろぼうばし」は、主に地元民が喜多院に出入りする際に使う、裏口のような存在です。
西武新宿線「本川越駅」方面から喜多院へアクセスする場合は、この橋を目指して歩いた方が早く着くので、覚えておくと便利かもしれません。
本川越駅から喜多院の山門までは約15分かかるのですが、どろぼうばしを目指せば9分ほどで到着します。
どろぼうばしの近くにある公園。近所の子どもたちの遊び場になっています。秘密基地の形跡が残っていることも。
松平大和守家廟所と歴代藩主の墓
どろぼうばしの北側には、市指定史跡の松平大和守家廟所と、川越藩主 松平大和守家の歴代藩主のお墓があります。
松平大和守家は、徳川家康公の次男 結城秀康の子である直基を藩祖とする家系です。
震災や天候の影響により史跡が損傷してしまったため、現在は修繕工事中です。残念ながら暫くは立ち入ることができません。
喜多院の拝殿 慈恵堂
県指定有形文化財の慈恵堂。比叡山延暦寺第18代座主 慈恵大師良源を祀る大師堂です。
銅鐘は「正安二年の銅鐘」(正安二年=1300年)と呼ばれており、こちらは国指定重要文化財に指定されています。
下の写真は、お正月の三が日の様子。
初詣スポットとしても人気のある喜多院の境内は、多くの参拝客であふれ返ります。
慈恵堂の脇にある絵馬所です。喜多院のご利益は、厄除け・厄払い・商売繁盛・学業成就・家内安全。
撮影したのが1月だったためか、合格祈願の絵馬が多かったです。
苦しみから解放してくれる 苦抜き地蔵尊(釘抜き地蔵尊)
昭和32年、堂の改築を記念して奉納された苦抜き地蔵尊。「釘抜き地蔵尊」とも呼ばれています。
名前の通り、「苦しみを抜き取ってくれる」といわれており、たくさんの人々から親しまれているお地蔵様です。
地蔵旗の奉納は寺務所で受付。
川越七福神 大黒天
小江戸川越七福神 大黒天が祀られている御堂です。
慈恵堂の脇(慈恵堂と庫裏・寺務所の間)にあるのですが、存在感がありません。ここに御堂がある事にすら気付いていない人も多いのではないでしょうか。
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喜多院の歴史を学べる 客殿・書院・庫裏
江戸時代、徳川家光により江戸城紅葉山の客殿(家光誕生の間/国指定重要文化財)・書院(春日の局化粧の間/国指定重要文化財)・庫裏は、喜多院の境内に移築されました。その建物がこちらです。
現在は川越市や喜多院の歴史を知ることができる、貴重な歴史博物館として機能しています。
客殿と書院に繋がる庫裏(国指定重要文化財)が入り口となっています。館内は原則撮影禁止です。
中庭には三代将軍お手植桜(枝垂桜)が植えられています。
枝垂桜ということもあり、他の場所よりも開花が早いです。確実に見たい方はタイミングに注意してください。
庫裏と慈恵堂の内部(=本堂)は渡り廊下でつながっています。
自分に似ている顔を探そう!五百羅漢
五百羅漢(ごひゃくらかん)は、メディアで取り上げられることの多い人気観光スポットです。その名の通り、500体以上の羅漢様が所狭しと並んでいます。
羅漢とは
「羅漢」は「阿羅漢(arhat)」の略称で、応供(おうぐ)と訳されます。
応供とは「仏教を信仰し、修行する者の中でも特に供養と尊敬を受けるに値する人」のこと。ちなみに、太古のインドでは宗教的に最高の境地に達した者のことを応供と呼んでいました。
五百羅漢とは
中国・日本の禅宗では五百羅漢が崇拝されており、美術作品も数多く遺されています。
そんな五百羅漢様たちは、テレビ埼玉で放送されている川越の老舗和菓子店「くらづくり本舗」のCMにも絶賛出演中です。
投稿:くらづくり本舗
五百羅漢の見どころ
五百羅漢の特徴は、1体1体それぞれ表情やしぐさが異なるところです。ここではその一部をご紹介します。
にっこり。
渋い顔。
…退屈そうですね。
きっと明日は良いことあるって…!
五百羅漢 十二支シリーズ
538体の中には十二支を意味するものもあります。「ウォ○リーを探せ」感覚で探してみるのも面白いかもしれません。
牛
兎
辰
巳
猿
犬
猪
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五百羅漢の入り口は売店の脇
よく境内で迷子になっている方がいるのですが、五百羅漢の入り口はドリンクなどを販売している売店の脇にあります。
入場には参拝券が必要
写真は五百羅漢の参拝券です。上で紹介した客殿・書院・庫裏の拝観券とセットで購入できます。単体販売はしていません。
券の販売場所は庫裏(寺務所)の受付です。五百羅漢そばの売店では販売していないので注意!
広い境内は市民の交流の場
喜多院の境内は、地元民同士の交流の場としての役割も担っています。
境内にある東屋。屋台で買ったものを食べたり、持参したお弁当を広げている人もいます。
テーブルやベンチがたくさん用意されているので、散歩中の休憩場所としてもぴったり。
東屋のそばにある厄除けだんごの出店。素朴な味が魅力です。
喜多院から仙波東照宮へ続く道の入り口に咲いていた紫陽花。喜多院は桜が有名ですが、紫陽花もたくさん植わっています。
次のページでは、山門の外のオブジェや喜多院へのアクセス方法、小休憩スポットをご紹介します。