「あんたがたどこさ ひごさ…」から始まる日本の古いわらべ歌「あんたがたどこさ」。歌詞に熊本の地名が出てくることから、この歌の発祥の地は熊本県であるというのが通説になっています。
しかし、昔からこの説には多くの異論が唱えられてきました。その中でも「『あんたがたどこさ』発祥の地は埼玉県川越市である」という説は、最も有力視されています。
そこで今回は、「あんたがたどこさ」発祥の地=川越という仮定のもと、このわらべ歌に込められた意味について検証してみました。
目次
熊本が発祥の地?「あんたがたどこさ」の歌詞と意味
わらべ歌「あんたがたどこさ」は手毬歌のひとつです。正式なタイトルは「肥後手まり唄」。
歌詞の内容が、疑問文とその回答で構成される「問答歌」の形を取っていることから、幕末から明治時代初期に作られたものと考えられています。
2人以上の会話から成り立つ「あんたがたどこさ」
「あんたがたどこさ」は、各地の子供たちが口伝してきた歌であるため、地域によって内容に差があるようです。今回はその中から、一般的によく知られているものを掲載します。
あんたがたどこさ ひごさ
ひごどこさ くまもとさ
くまもとどこさ せんばさ
せんばやまには たぬきがおってさ
それを りょうしが てっぽうでうってさ
にてさ やいてさ くってさ
それをこのはで ちょいとかぶせ
歌詞を漢字に直すと以下の通り。「せんば」の地名には諸説あるため、ここでは平仮名で表記しました。
あんた方何処さ 肥後さ
肥後何処さ 熊本さ
熊本何処さ せんばさ
せんば山には 狸がおってさ
それを猟師が 鉄砲で撃ってさ
煮てさ 焼いてさ 喰ってさ
それを木の葉で ちょいと被せ
問答歌である「あんたがたどこさ」は、登場人物AとBの会話で成り立っています。
A「あなた達はどこから来たんですか?」
B「肥後です」
A「肥後ってどこですか?」
※「肥後のどこですか?」の可能性も。
B「熊本です」
A「熊本のどこですか?」
B「せんばです」
やり取りの内容を見る限り、Bは熊本出身の人です。また、AがBに対して「あなた達」と呼びかけていることから、Bは複数人いることが伺えます。
一方、Aは熊本や熊本の周辺地域には住んでいない可能性が高いです。
「あなた達はどこから来たんですか?」「肥後です」というやり取りをしていることから、2人の現在地は肥後(≒熊本)ではない他の場所で、またAはそこの現地人の立場から質問していることが読み取れます。
「~さ」は関東地方の方言
「『あんたがたどこさ』は熊本生まれの歌」というのが一般的な説です。
しかし、上でも触れた通り「あなた達はどこから来たんですか?」「肥後です」という会話から、少なくとも歌の舞台は肥後ではないことが分かります。
また、歌詞に頻出する「~さ」という言葉は関東地方の方言であり、熊本弁ではありません。
そのため、昔から多くの研究者が「『あんたがたどこさ』は関東で作られた歌なのではないか」と指摘しています。
また、熊本の研究者の中にも「歌詞の中に熊本の地名が出てくるだけで、熊本が発祥の地ではない」と指摘する人が少なからずいるようです。
「あんたがたどこさ」に2度登場する地名「せんば」はどこなのか
「あんたがたどこさ」発祥の地を探る上で最も重要な手がかりとなるのが、「せんば」という地名です。
「せんば」と「せんば山」
AとBの問答をもう一度見てみましょう。
A「あなた達はどこから来たんですか?」
B「肥後です」
A「肥後ってどこですか?」
B「熊本です」
A「熊本のどこですか?」
B「せんばです」
ここで初めて「せんば」という地名が登場します。
Bは冒頭からずっと熊本の話をしていました。よって、この「せんば」は熊本市の「船場(船場町)」で間違いありません。
問題は2回目の「せんば」です。
A「熊本のどこですか?」
B「船場です」
?「せんば山には狸がいましてね…(以下、略)」
さて、「?」のセリフはAとBどちらのものだと思いますか?
実はこれがもの凄く重要なポイントなのです。
もし「?」がAだとしたら、歌詞中の「せんば山」は熊本以外の地域にある山を指していることになります。なぜなら、Aは熊本の人ではないため、ここで急に熊本の山について語りだすのは不自然です。
次に、「?」がBであると仮定しましょう。Bは熊本の人ですから、「せんば山」は熊本の山ということになります。
ところが、熊本には「せんば山」に該当する山がありません。洗馬橋はありますが、「せんば山」という地名は存在しないのです。
熊本市新町の「せんば山」
洗馬橋停留場
2016年に放送されたNHK「ブラタモリ」の熊本編では、「せんば山」の由来について、「熊本市の新町の辺りに堀を作ったとき、その土を盛った土塁を『せんば山』と呼んでいた」という説を紹介しています。
ただ、この説には地元の方も懐疑的なようです。
私は熊本の「せんば山」について調べるため、まず地元の方たちがコメントのやり取りをしているサイトを覗いてみました。そのページでは、「歌詞の元ネタになった『せんば山』ってどこのこと?」といった議論が行われていたのですが、結局は「不明」という結論に。
また、熊本には「せんば山」になぞらえたお店やお土産はあるようですが、いずれも最近できたものでした。さらに、熊本市観光政策課が運営するサイトで調査してみても、検索結果は0件(「せんばやま」「せんば山」「船場山」「洗馬山」で検索)。
有力な資料が出てきませんでした。
熊本の「せんば山」とは一体何なのでしょうか……。
セリフの順番を考慮するとA説が有力だけど…
そもそも「あんたがたどこさ」は問答歌なので、AとBのセリフが交互に出てくるよう構成されています。その点も考慮すると、「?」=Aという説が有力です。
A「熊本のどこですか?」
B「船場です」
A「せんば山には狸がいましてね…(以下、略)」
この場合、Bの「船場(せんば)です」という回答に対し、Aは自分が知っている「せんば」の話を展開し始めたことになります。
これはこれで唐突ですよね。Bも何事かと思ったことでしょう。
Aは余程のコミュニケーション上級者だったのか、それともとんでもなく空気が読めない人だったのか……。
AとB、作者としてはどちらでも良かったのかも
このように、「?」がAとBどちらのセリフだったとしても、必ず不自然な点が出てきてしまいます。
もしかすると「せんば山には 狸がおってさ」以降の歌詞は、作者が己の主張を盛り込みたかっただけで、「AとBどちらのセリフとして取ってもらっても構わない」と考えていたのかもしれません。
関東地方の「せんば山」は1つに絞られる
上でも触れましたが、「~さ」は関東地方の方言です。そのため、「?」の正体にかかわらず、この歌の作者は関東地方の人である可能性が高いと言えます。
もし「せんば山」が作者の出身地である関東地方にある山だとしたら、候補は1つだけ。川越市の「仙波山」です。
仙波山
現在、GoogleMapで仙波山を検索すると、上の地図の場所がヒットします。川越の小仙波町にある日枝神社の一画です。
ただ、この場所は諸説あるうちの1つに過ぎません。
「仙波山は日枝神社や多宝塔古墳跡にある」という説もあれば、「川越の小仙波町周辺に広がっている仙波古墳群の別称である」といった説もあります。
仙波古墳群の主な史跡
- 三変稲荷神社古墳
- 慈眼堂古墳
- 愛宕神社古墳(大仙波古墳群)
- 浅間神社古墳(大仙波古墳群)
仙波山(せんばやま)の狸は本物の狸?それとも隠喩?
ここからは、歌詞の「せんば山」が川越の仙波山であると仮定して話を進めていきます。
歌詞の後半部分を振り返ってみましょう。
仙波山には 狸がおってさ
それを猟師が 鉄砲で撃ってさ
煮てさ 焼いてさ 喰ってさ
それを木の葉で ちょいと被せ
「仙波山には 狸がおってさ」ということは、仙波山には狸がいたということになります。
山に狸が住んでいても何もおかしくはありません。とはいえ、これはわらべ歌。狸が野生の狸ではなく、何らかの隠喩である可能性もあります。
そこで、川越に関する文献をもとに、「狸」の正体について3つの仮説を立ててみました。
仮説① 喜多院の慈眼堂・慈恵堂にいた狸
岡村一郎氏は著書「川越歴史小話」の中で、「あんたがたどこさ」発祥の地について言及しています。
ただし、岡村氏はあくまで「せんば山は熊本城下にある山」というスタンス。川越が発祥の地とは述べていません。それでも著書の中で、「(川越の)仙波山に狸がいただろうか」と思いを巡らせ、以下のように記しています。
「仙波川越由来見聞記」には、享保19年(1734)喜多院の慈恵堂の下にある穴を、御用懸りの平尾平三、吉岡五郎左衛門などが検分した記事がみえる。
(中略)
穴のあたりに狐か狸とおぼしき足跡が沢山あったから、多分そうしたものの棲家に違いない。
そういえばこの慈恵堂の裏手の土手に大きな杉の木があるが、その根方にも穴がある。ひょっとするとこの穴から縁の下に出入りするのかも知れない。
(引用:岡村一郎著「川越歴史小話」)
「仙波川越由来見聞記」は喜多院の沿革や宝物などについて記された書物です。原本は1793年に書かれたと言われています。
そして、「喜多院の慈恵堂」は下の写真の建物のことです。ガイドブックなどにもよく載っている建物ですね。
「仙波川越由来見聞記」によると、1734年にこの慈恵堂のそばにある穴を調査したところ、狐や狸のものと思われる足跡が見つかったそうです。このことから、喜多院には狐や狸が棲んでいたものと思われます。
ここで、仙波古墳群(=仙波山)の主な史跡を見返してみましょう。
仙波古墳群の主な史跡
- 三変稲荷神社古墳
- 慈眼堂古墳
- 愛宕神社古墳(大仙波古墳群)
- 浅間神社古墳(大仙波古墳群)
このうち慈眼堂古墳は、喜多院の境内にあります。調査が行われた慈恵堂のすぐ近くです。
もしかすると「仙波山には 狸がおってさ」とは、慈眼堂古墳に現れた狸のことを指していたのかもしれません。
喜多院には狸の逸話がある
川越市教育委員会が出版している「続川越の伝説」には、「喜多院の伝説」として「小僧に化けた狸」という昔話が掲載されています。
これは、喜多院の住職である実海僧正に憧れた狸が小僧に化け、彼のもとで熱心に修行に励んだ、という何とも健気なお話です。
川越の老舗和菓子店の紋蔵庵では、この逸話にちなんだお菓子を販売しています。
この話が嘘か実かは分かりません。しかし、たとえ創作話だったとしても、火のないところに煙は立たないはず。
このような物語が作られたということは、喜多院には狸が棲んでいると考えられていたということでしょう。
仮説② 仙波東照宮に祀られている徳川家康(江戸幕府)
「『あんたがたどこさ』は川越が発祥の地」と主張する人の多くは、この仮説②を推しています。個人的にはあまり好まない説なのですが……。
仙波山を仙波古墳群とは断定せず、「仙波にある山」と広く解釈した場合、仙波地区には狸のいる小山があります。仙波東照宮です。
仙波東照宮は日光・久能山と並ぶ日本三大東照宮の1つで、徳川家康(東照大権現)が祀られています。
徳川家康は誰もが知る非常に優秀な人物ですが、同時に「狸親父」とも呼ばれていました。
もし「仙波山には 狸がおってさ」の狸が徳川家康の隠喩だとしたら……。
この歌詞は「仙波の山には 徳川家康がいてね」と解釈することができます。
徳川家康に対する行為が惨い
狸の正体を徳川家康と仮定して歌詞を見直してみると、「あんたがたどこさ」への印象が180度変わります。
仙波山には 狸がおってさ
それを猟師が 鉄砲で撃ってさ
煮てさ 焼いてさ 喰ってさ
それを木の葉で ちょいと被せ
仙波山の狸を鉄砲で撃ち、煮て焼いて喰らった上に、木の葉を被せる。
この人はどれだけ徳川家康のことが嫌いなんでしょうか?
しかし、歴史の流れを考えると、歌の作者と徳川家康の間に個人的な怨恨があったとは考えにくいのです。
「あんたがたどこさ」のような問答歌は幕末から明治時代初期頃に作られました。
一方、徳川家康は幕府の祖。彼が開いた江戸幕府は約260年続きました。
そのため、幕末に生きていた「あんたがたどこさ」の作者が徳川家康と関わることは絶対にないのです。
徳川家康ではなく江戸幕府のことを指している?
太田信一郎氏は著書「童歌を訪ねて」の中で、「あんたがたどこさ」について以下のように説明しています。
九州熊本がその発祥地のように思われていましたが、実は関東の歌で、埼玉県川越市喜多院裏の「仙波山」あたりがそもそもの発祥地であることが地元川越市の郷土史研究家によって明らかにされています。
幕末に薩長連合軍が倒幕のため川越の仙波山にも駐屯し、その時付近の子どもたちが兵士に「あんたがたはどこから来たのさ」「肥後から」「肥後って何処さ」「熊本のことさ」と問い、答えた(問答)ことから始まったと伝えられ、後に手毬歌として歌い遊ばれました。
(引用:太田信一郎著「童歌を訪ねて」)
1868年(慶応4年・明治元年)、新政府軍と旧幕府軍による内戦が勃発しました。歴史の教科書に必ず載っている「戊辰戦争」です。
新政府軍の中核にいたのは薩摩藩と長州藩、土佐藩。王政復古を経て明治新政府を樹立した3藩です。
太田氏は、このとき川越の仙波山に駐屯した熊本の兵士たちが、「あんたがたどこさ」に登場するBにあたるのではないかと考えています。
そして、駐屯先の子ども(=A)とのやり取りが、「あんたがたどこさ」の歌詞として残ったと解説しているのです。
江戸幕府の隠喩であると考えた方が自然ではある
背景に戊辰戦争があったとすると、「仙波山の狸」は徳川家康のことではなく、彼が開いた「江戸幕府」を表していた可能性もあります。
戦争中だったことを考えれば、非道な歌詞もどこか納得できるものがあるのではないでしょうか。
仙波山には 狸がおってさ
それを猟師が 鉄砲で撃ってさ
煮てさ 焼いてさ 喰ってさ
それを木の葉で ちょいと被せ
言葉選びが不穏であることに変わりはありませんが……。
仮説③ 仮説①と仮説②のミックス
もう1つ考えられるのが、仮説①と②がごちゃ混ぜになっているパターンです。仮説①の背景を補完する形になります。
戊辰戦争の過程で熊本の兵士が川越の仙波地区に駐屯し、現地の子どもたちと接触。兵士は熊本の船場について話し、子どもたちは喜多院の境内に棲む野生の狸の話をした、という説です。
A「熊本藩のどこですか?」
B「船場です」
A「仙波山には狸がいましてね…(以下、略)」
先ほど、「?」=Aだとしたら会話の展開が唐突すぎると書きましたが、Aが子どもだった場合、それほど不自然な流れではなくなります。
Bが言った「船場」という地名から、Aは同音で自分に馴染みのある「仙波」を連想し、ハイテンションで仙波について弾丸トーク!子どもにはよくあることですよね。
Bも「話の展開が急だなぁ」と思いつつも、「子どもの言うことだから」と微笑ましい気持ちでそれを受け入れたのではないでしょうか。
異説として有力なのは仮説②
「仙波山には 狸がおってさ」について3つの仮説を立てましたが、異説として有力視されているのは「仮説② 仙波東照宮に祀られている徳川家康(江戸幕府)」です。
「『あんたがたどこさ』発祥の地は熊本」という説に対し、この仮説②がよく引き合いに出されています。
川越が発祥の地かも?わらべ歌「あんたがたどこさ」
結局のところ「あんたがたどこさ」の真の発祥地は、今は亡き作者に質問してみない限り分かりません。
しかし、問答の内容や、作中の方言が関東地方のものであることから、発祥地が熊本以外であることは確かなのではないでしょうか。
個人的な希望を言えば、川越生まれの歌であって欲しいところです。そして、仮説③であって欲しいですね。仮説②の徳川家康(江戸幕府)説はやはり物騒です。
観光などで仙波山の付近に立ち寄った際は、ぜひ喜多院や仙波東照宮に足を運んでみてください。
もしかしたら仙波山の狸に会えるかもしれませんよ。狸なので、4つ足で歩いているとは限りませんが……。
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