江戸時代後期の武家屋敷、永島家住宅。歴代の家主の手によって増改築の手が加えられてはいるものの、屋敷周りなどは当時のまま保存されているそうです。
永島家住宅とは
永島家住宅は、江戸時代後期の中級武士のお屋敷。
埼玉県には川越藩・忍藩・岩槻藩の3つの城下町がありましたが、今はそのほとんどが失われており、当時の姿のまま残っているのはこの永島家住宅だけです。
武家屋敷は今でいうところの社宅の様なもので、永島家には
- 勾坂 鹿平(こうさか かへい)
- 包 愛郷(つつみ あいごう)
- 三野 半兵衛(さんの はんべい)
- 石原 昌廸(いしはら まさみち)
といった武士が住んでいたことが分かっています。
中には「御典医(ごてんい)」という、城に仕えるお医者さんもいたそうです。
永島家住宅は、少し前まで永島さんという方が所有していました。
現在は川越市で管理されています。
公開日 | 毎月第3土曜日 |
時間 | 9時~16時 |
アクセス
永島家住宅へ
屋敷のまわりには草が生い茂っているのですが、この草がなかなか禍々しいです。
茎がとんでもなく鋭利・・・。
これは防壁の役割を果たしており、この辺りが武家屋敷街だった頃は一帯生い茂っていたそうです。
屋敷の玄関。
明治14年以降に改造されたそうです。
家の中を見ることは出来ません。
ただ、ガイドさんのお話では「今は中を整備しているんです。そのうち一般公開されるかもしれません」とのことでした。
昔懐かしのポンプ。
「まだまだ現役なんですよ」
とガイドさんが水をドバーッと出してくれました。
庭園から見た縁側と茶の間。
庭園にある大きくてゴツゴツとした岩は溶岩石です。
つい最近まで人が生活していたためか、茶の間はちょっと生活感があります。
四畳の間。
左端の大きな板は雨戸です。
雨戸を閉めてもあちら側がガラ空きなので寒そうでした。
四畳の間の反対側に回りました。
時代劇でよく登場する無双窓があります。
↓コレです。
ガイドさんが実際に動かして見せてくれました。
部屋の中。掛け時計がありました。
本当にここで人が生活していたんですね。
これでお屋敷を一周しました。
でも、2周・3周している人が多かったです。
敵の侵入を防いでいた?七曲り
道が幾重にも折れ曲がっている場所のことを七曲りといいます。
永島家住宅は七曲りに囲まれています。
googleマップで歩いてみてください。
道の複雑さが分かると思います。
七曲りが作られた目的は定かではありません。
防衛上の目的で作られたという説もありますし、武家地を拡大していく上で自然に生まれたのではないかとも言われています。
川越市街地には、この様な複雑な道がたくさんあります。
鈎の手(直角に曲がる狭い道)や丁字路、袋小路・・・。
自動車教習所で「どこにこんな面倒な道があるんだよ!」と思わず突っ込みたくなったあの道が、川越にはあるのです。