日本100名城のひとつ、川越城本丸御殿。実は全国的に見ても、本丸御殿が現存しているお城は極めて稀なんです。
川越城本丸御殿とは
川越城(河越城)は、長禄元年(1457年)に、上杉持朝(もちとも)の命により、太田道真・道灌親子が築城したものです。
太田親子は同年に江戸城・岩槻城も築城しています。
当時の川越城は土塁で囲まれただけの、石垣も堀も無い平城だったそうです。
その後、拡張を繰り返し、江戸時代の嘉永元年(1848年)に本丸御殿が築かれました。
この頃の本丸御殿は総建坪1025坪と広大でしたが、明治4年の廃藩置県によって解体され、現在は玄関+36畳の大広間+役人の詰所などを残すのみとなりました。
昭和42年(1967年)に県指定有形文化財に、平成18年(2006年)には日本100名城に選定されました。
東日本では唯一現存している本丸御殿です。
太田道灌とは?
文武両道の名将、太田道灌。川越城を築城した男が遺した足跡
春には御殿のまわりに桜が咲き誇ります。
川越 桜の名所めぐり。春まつりと共に楽しむ小江戸のお花見
開館時間 | 午前9時~午後5時(入館は4時半まで) |
休館日 | 月曜日、年末年始、毎月第4金曜日 |
入館料 | 一般100円、大学生・高校生50円 |
川越市立美術館・川越まつり会館との共通入場券も販売しています。
アクセス
東武東上線・JR川越線「川越駅」もしくは西武新宿線「本川越駅」からイーグルバス「小江戸巡回バス」乗車、「本丸御殿」下車。
バス時刻表
御殿内の様子
風格のある外観。
曲線を連ねた「唐破風(からはふ)」屋根が印象的です。
玄関。
間口は三間と広め。
靴はここで脱ぎ、玄関に用意されているビニール袋に入れて持ち歩きます。
廊下は場所によって材質が違い、玄関付近にはケヤキ、城の奥にはツガ・松が使われています。
材種を使い分けることで、パブリックな空間とプライベートスペースを区別していたそうです。
最初の部屋は使番詰所。
使番(つかいばん)とは、戦時の伝令・巡視役のこと。
御殿南側の廊下。
かつて、この窓の向こう側には「大書院」と呼ばれた巨大な建物が建っていたそうです。
御殿南西部には、明治初頭に建てられた「明治棟」があります。
明治棟にはお手洗い(使用出来ます。水洗)と展示室があり、建築当初使用されていた鬼瓦や屋根下地などが展示されています。
基本的に子部屋は入室厳禁なんですが、最も広い36畳の広間のみ入ることが出来ます。
奥の襖に描かれているのは、川越藩の御用絵師 船津蘭山(ふなつらんざん)による杉戸絵。
御殿内には同様の杉戸絵が11面あり、船津蘭山は約7年かけてそれらを完成させたそうです。
広間は展示部屋となっており、
大鎧や
杵黒熊毛槍鞘(きねくろくまげやりざや)が置かれています。
家老詰所の様子
川越藩は江戸幕府にとって重要な大名だったため、藩主は年間を通して江戸に詰めていました。
そのため、川越藩の政務は実質「家老」たちが行っていたといわれています。
トイレ(使えません)。
通常、トイレは建物から突出した場所に作られていたんですが、本丸御殿の家老詰所では建物内にあります。
突然現れるリアル人形。
結構びっくりします。
家老たちが藩政について議論している場面だそうです。
縁側に下りて中庭を眺められます。
ここで写真撮影している人がたくさんいました。
川越城中ノ門堀跡
本丸御殿から少し離れた場所に堀跡があります。
川越城に残る唯一のお堀です。
アクセス
中ノ門堀跡とは
江戸時代、川越城は北の守りとして重視されていました。
寛永16年(1639年)に藩主となった松平信綱は、戦を想定して城の大改修を行い、この中ノ門堀を作ったそうです。
中ノ門堀には、現在の市役所方面(本丸御殿の西方)から攻め込んできた敵を足止めする役割がありました。
敵の歩みが緩んだところに、城兵が弓矢や鉄砲を撃ちかける戦法を想定していた様です。