川越歴史博物館という博物館をご存じでしょうか。喜多院から徒歩1分、なんと個人で経営している、珍しい博物館なんです。
そしてさらに珍しいことに、川越歴史博物館では展示品に触ることもできるんです!
写真でしか見たことがない火縄銃や日本刀を手に取れる。まさに、歴史に触れることができるスポットです。
そんな川越歴史博物館には、「真実は触ってみないとわからない」と、触れることの大切さを教えてくれる名物館長がいます。じつは、この館長の話がまた深イイんです……!
今回は名物館長のいる、触れて学べる博物館「川越歴史博物館」から、川越の歴史にちなんだ展示品をご紹介したいと思います。
ライター:からすけ
テレビにも登場!
- 20年12月6日放送、日本テレビ系「ニノさん」
- 19年10月10日放送、TBS系「KAT-TUNの世界一タメになる旅!」
目次
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展示物に触れる博物館!川越歴史博物館とは
川越の名所「喜多院」の北参道を歩いて約1分。坂を下りきったところにある、緑色のビルが川越歴史博物館です。
振り返ると喜多院が。そして博物館の向かいには成田山があります。歴史の中心地と言える立地ですね。
入館料は大人500円、子供300円(中学生以下)。
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川越にゆかりのある品を中心に集めており、川越周辺の歴史を学ぶことができます。
展示コーナーは3階まであり、1階には川越藩の捕り物具・灯火具・陶磁器など、2階には考古学資料・古鏡・川越城ゆかりの品など、3階には武器・武具・甲冑などが展示されています。
川越歴史博物館は「触れる」博物館
では早速中に入ってみましょう。
ん?この看板は?
「建物老朽化 館長老朽化 でも おもしろい!」
「!?」
いきなりユーモアの効いた看板が!
と、看板に驚いていたら博物館の中から声をかけられました。
「よく来たね、入って入って」
気さくに声をかけてくださったのは、川越歴史博物館 館長の西山浩市さん。深イイ話が聞ける名物館長として、来館者の皆さんから親しまれています。
館内におじゃますると、館長からまず一言。
「本当のことっていうのは触ってみないとわからない。本物を知ってほしいから、うちは展示品に触れるんだ。」
「火縄銃持ったことあるかい?」
いえ、ありません。
すると、あれよあれよという間に火縄銃を持ってきていただき、実際に構えてみることに。
お、重い……!!
両手で構えても腕が痛くなるほど重いです。昔の武士たちはこれを構えて照準を合わせていたんですよね。正直信じられません……。
さらに
「日本刀も持ってみるかい」
スラリと日本刀が登場しました。
持ってみると、こっちは意外と軽い。刃の光沢がじつに美しく、これが武器だとはなんだか嘘みたいです。
「これ、切れるからね」
館長のその一言に、急に背筋がシャン!となった気分でした。
なるほど、切れる刀を持つということは、それにふさわしい人間である必要があるのかもしれません……。「武士の魂」という言葉が少しわかった気がしました。
このように、川越歴史博物館では展示物に触ることができます。
「画面の中に真実はない。本物に触って初めてわかることがたくさんある」という、館長の言葉のとおり、本物に触れたときに感じる情報量の多いこと。
火縄銃の重さも、日本刀の輝きも、そして刀から感じる武士の魂も、どれも触れなければ知ることはなかったでしょう。
実際に本物を知ることで、人々の暮らしをイメージしたり、時代背景を考えたりと、当時の世界への入り口を垣間見た気がしました。
火縄銃や日本刀のほかにも、銭形平次で有名な「十手」や、今の技術では再現不可能と言われる「鉄製の魚(くねくね動く)」なども触らせていただきました。
ちなみに十手は思いのほかスベスベしていました。これも触れたからこそわかることですね。
じつは個人経営!川越歴史博物館を始めた理由
博物館というと、公営の施設のイメージが強いと思います。
しかし、川越歴史博物館は個人経営。個人だからこそ、自由な発想で運営することができるんです。
展示物に触れるのも個人経営だからこそ。でも、最初から今みたいな博物館ではなかったんだそうです。
館長に博物館を始めた理由を聞くと、きっかけは「家族でやってみようという話があったから」だそう。
開館からしばらくは先代(館長のお父様)が中心に運営されていたそうで、館長が引き継いでからは「本物に触れて知って欲しい」というコンセプトで運営しているとのことでした。
今や観光で有名な川越ですが、その土台となっているのは先人が築いた川越の歴史。
歴史の根本はどこにあるのか、本物を見て触れることでその根本を知って欲しいという館長の考えが反映されているんです。
川越ゆかりの品がずらり。川越の歴史と共にめぐる博物館の見どころ
川越歴史博物館には、川越ゆかりの品や資料がテーマごとに展示されています。触れて学べることもたくさんありますが、見て学べる展示物もたくさんあります。
触れて感じた次は、しっかり見て考えて学んでいきましょう!
館内で見られる展示物をざっと紹介すると、
土器や
忍者の武器
実際に使われた鎧もあります
このように展示物はたくさんあるのですが、今回は今の川越を作った人物に焦点を当てて紹介したいと思います。
川越の名の基となった「河越太郎重頼(かわごえたろうしげより)」
地形を巧みに生かして川越城を築城した「太田道灌(おおたどうかん)」
そして、今の街並みを作り上げた「松平信綱(まつだいらのぶつな)」
展示物を見ながら、川越の歴史をざっと学んでみましょう!
ではしばしお付き合いください。
川越の名はここから来た「河越太郎重頼」
突然ですが、川越がなぜ川越と呼ばれるのかご存じでしょうか?
川越は元々「河越」の文字で記されており、その河越の名は、この土地を治めた豪族の名からきているのです。
平安時代、1100年代のころにはすでに「河越」という地名があったとされています。
ただ、河越は今のような街が広がった場所ではなく、もともと住んでいた農民たちが田畑を耕している土地でした。
そこにやってきたのが秩父氏(のちの河越氏)。彼らは、秩父を拠点とした豪族でしたが、河越一帯の農民を束ねて発展させるために河越の地に入ったのです。
そして秩父氏は治める土地の名前「河越」を取って河越氏となりました。今の「川越」の名は、河越氏の一人「河越太郎重頼(かわごえたろうしげより)」が由来だと言われています。
河越太郎重頼は河越に大きな荘園を造ったため、地域への影響力が大きかったのかもしれませんね。
河越氏は後に平一揆(河越氏が中心となって足利幕府に反抗した一揆)を起こした折に鎮圧され、1368年に滅亡しました。しかし、その名は今でもこの土地に引き継がれているんです。
館内には河越氏の系図や
河越太郎重頼が日枝神社に奉納した刀などが展示されています。
川越城を築城した若き才能「太田道灌」
「本丸御殿(ほんまるごてん)」が現存することで有名な川越城ですが、その築城には1人の若き才能が関係しています。
その名は太田道灌(おおたどうかん)。室町時代後期、1400年代の人物で、相模国(今の神奈川県の大部分)の軍事を取り仕切っていた上杉持朝(うえすぎもちとも)の家臣でした。
当時、上杉氏は古河(茨城県古河市)を拠点とする古河公方(こがくぼう)を危険視しており、その対策として川越城、江戸城、岩槻城を建てさせたのです。
このとき活躍したのが太田道灌。当時22歳という若さでしたが、川越の地形をしっかり理解しており、川を掘に活用したり、台地に城を築いたりして、堅牢な川越城を築きました。
こちらが川越城の図。太田道灌が造ったのは本城と二の丸の部分。現存する本丸御殿が造られたのは江戸時代になってからです。
現在の地図との重ね図。川越城の名残を探しながら街を歩いてみるのも面白いかもしれませんね。
今の市役所の周辺には、本丸御殿のほかに川越城中ノ門掘跡や川越富士見やぐら跡の石碑などを見ることができます。
また、「市役所前」の交差点には狩りの支度をした太田道灌の像が。
太田道灌には、狩りに出た際に民家で蓑(みの)を借りようとした有名なエピソードがあり、その姿は掛け軸にもなっています。
その掛け軸がこちら。
太田道灌が蓑を借りようとしたところ、女性が無言で山吹の花一枝を差し出したというエピソードです。
これは「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき(山吹には艶やかな花は咲くけれど実の一つさえつかないのが不思議です)」という歌の意味に山吹の枝をかけ、家に蓑が無いことを表していたのだそうです。
このとき、太田道灌は女性の行為の意味が理解できませんでした。しかし、後にその真意を知り、「なんと風流なことか」と心を動かされ、自身もまた歌を詠むようになったのだとか。
ちなみにこちらは武士が狩りの際に使う太刀。毛太刀(けだち)と呼ばれ、森の中で鞘に傷が付かないように毛で覆われているのだそうです。
太田道灌の生きた室町時代の展示品では、有名な刀工、村正の手による品が残っています。
村正と言えば、徳川家康やその父子を切った名刀を鍛えたことで知られています。その村正の品が見られるのは感動ですね!
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文武両道の名将、太田道灌。川越城を築城した男が遺した足跡
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近代川越の基礎を作った「松平信綱」
江戸時代になると川越は一つの藩となります。川越の藩主はたびたび変わりますが、その中でも有名な藩主が、松平信綱(まつだいらのぶつな)です。
「知恵伊豆」とも呼ばれ、川越城の拡張工事や川越大火(1638年)後の街並みの区割り、新田開発を目的とした野火止用水(のびどめようすい)の整備など、多くの大工事を成し遂げました。
その業績は川越の成長を後押しし、新河岸川(しんがしがわ)を使った江戸との交易などを経て、川越を豊かな都市へと発展させたのです。
松平家は徳川家康の孫にあたる、徳川直基(とくがわなおもと)を祖とする親藩大名。所有の物には葵の紋が入っています。
こちらは実際に松平家で使われていたもの。鞘全体に葵の紋が入っています。台には桐の紋と一緒に描かれていました。
桐の紋は現在の内閣総理大臣紋章として使われている家紋。500円硬貨にも記されているので、よかったらチェックしてみてくださいね。
こちらは硯(すずり)と朱肉。「朱肉はほとんど残っていないんだぞ」と、館長が教えてくれました。
なんと貴重な品が目の前に……!
こちらは陣笠です。江戸時代では、武士が外出する際にかぶったそうです。時代劇でかぶっている姿を見たことがある方も多いのではないでしょうか。
このように、貴重な品の現物がいろいろと展示されています。
テレビや写真で見たことがあっても、本物を間近で見る機会はあまりないですよね。現物を目の前にして初めて分かることは結構多いように感じました。
名物館長が語る「歴史」とは。歴史はすべてを知る入口である
-歴史は過去だけではない、現代も未来もまた歴史。今の積み重ねが未来の歴史を作る-
これは私が館長から聞いた言葉です。館長は、歴史がずっと繋がっているもので、さらには世界中の事柄とも繋がっているんだと教えてくれました。
館長いわく
「元をたどれば宇宙の始まり、次元とは何かまでさかのぼる。
そこからずっと続いて今があるんだから、歴史を知るということは世界を知ることでもある。」
「そしてその入口になるのが博物館で本物に触れること。本物の歴史に触れて、発見や驚きをきっかけに、学ぶ楽しさを知って欲しい」
個人的に、これはまったくその通りだなあと思いまして、私自身も展示物に触れたのをきっかけに、かなり川越の歴史を調べてしまいました。
博物館はどんな方におすすめかと聞くと
「お話やゲームは沢山あるけれど、ぜひうちに来て本物に触れて欲しい!子供はもちろんだけど、意外と大人の方が目を輝せちゃったりする」とのこと。
確かに、本物の日本刀や火縄銃を持ったときの衝撃はかなりのものでした。多分あの瞬間の自分はすっかり童心に帰っていたと思います(笑)
そんなことを思いながら、帰り際にもう一度日本刀を持たせてもらいました。
ぜひみなさんも川越歴史博物館に来て、本物に触れてみてください!
館長の熱くて深い話も聞けるので、「見る・触る・聴く」と五感をフル活用して楽しむことができますよ。
川越歴史博物館へのアクセス
- 徒歩 JR西武新宿線「本川越駅」から徒歩15分
- バス 小江戸巡回バス喜多院下車、徒歩2分
喜多院の北参道を下ってすぐ。成田山目の前です。
こちらの看板が目印!
駐車場
川越歴史博物館の周辺にある駐車場マップです。