江戸、明治、大正、現代・・・様々な時代の建物が同居する風景
城下町として約500年の歴史を誇る川越。
そのルーツは遥か昔、平安時代にまで遡ります。
平安時代
平氏の系統である武蔵武士・河越氏が、秩父からこの土地へと移り住みます。
室町時代
大田道真・道灌父子が、扇谷上杉氏の命で川越城を築城しました。
この頃から「河越」は、関東での政治や経済、文化の一端を担う「江戸の母」としての歴史を歩み始めます。
江戸時代
河越は江戸の北の守りとして重要視されるようになります。
舟運による物資集積地として繁栄し、「江戸の台所」として様々な商人たちが出入りする賑やかな街として発展していきました。
徳川家に縁のある天海僧正が川越の喜多院に来往していたことも、幕府との繋がりをより一層強める一因であったと言われています。
松平信綱をなどをはじめ、川越藩主の多くは江戸幕府の老中も勤めていました。
明治時代
明治26年(1893年)3月17日午後8時15分頃、「川越の大火」という大きな火災が起こります。
この火事によって、当時の川越の町の約1/3、1302戸が消失しました。
奇跡的に死者・負傷者は出なかったものの、全財産を失った人もいたそうです。
現在、「蔵造りの街」として軒を連ねている土蔵造りの店舗は、そのほとんどがこの大火の後に防火建築として立て直されたものです。
現在
年間600万人が訪れる観光地となりました。
蔵造りの街の約20舗は、市の重要文化財に指定されています。